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大阪高等裁判所 昭和55年(う)1837号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を神戸地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、〈中略〉これらを引用し、次のように判断する。

一刑事訴訟法三八六条一項二号後段による控訴棄却の申立について

弁護人らは、本件控訴趣意書には事実誤認の主張に関して控訴審で立証予定の事実が記載されているが、右事実を疎明する資料及びやむを得ない事由によつて第一審の弁論終結前に証拠調べの請求ができなかつた旨を疎明する資料が添付されていないから、刑事訴訟法三八六条一項二号後段により控訴棄却の決定をすべきであると主張する。

しかしながら、事実誤認または量刑不当の控訴趣意として「訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実以外の事実」が示され、かつ所要の疎明資料が添付されていない場合であつても、これに併せて「訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実」あるいは他の控訴理由が適法に主張されているときは、控訴棄却の決定をなすべきではない。これを本件控訴趣意書についてみると、事実誤認の主張に関し控訴審で立証予定であるとして、(1)部落解放同盟兵庫県連合会が第三三七号指令文書により同和地区中小企業振興資金融資制度の運用方式変更に反対する闘争を指示した事実及びその具体的内容、(2)被告人樫木が内藤丈雄の右手首を掴んで引つ張り、その勢いで同人が転倒した事実、(3)内藤がメモ台付きパイプ椅子から立ち上がつた際メモ台に手をついても、動作特性からみてこれに加わる力は通常人の場合より小さいという事実が挙示されているが、右の(1)(3)の事実はともかく(2)の事実は「訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実」にほかならず、他にもこれに該当する事実が挙げられているうえ、控訴趣意として訴訟手続の法令違反、法令適用の誤りも適法に主張されているから、控訴棄却の決定をなし得ないのであつて、弁護人らの右主張は採用できない。

二控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、原裁判所は検察官が刑事訴訟法三二一条一項二号後段により森澤武行の検察官調書の取調べを請求したのに対し、右調書は同人の証言と実質的に異なるとは認められないとして却下したが、これは訴訟手続の法令に違反したもので、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ記録を調査して検討すると、森澤は、原審第八ないし第一一回公判において、「縞模様のシャツを着た男(被告人樫木)がどちらかの手で内藤の右手首を握り『待たんかい。』と言つたが、引つ張つたかどうかは記憶がない。」「私は内藤が倒れたときその相手に『お前誰や。』と言い、ほかにも発言したかもしれないが、明確な記憶がない。」旨証言したことが認められ、一方森澤の昭和五一年七月一九日付け検察官調書においては、「縞のシャツを着た男が『待たんかい。』と言いながらどちらかの手で内藤の右手首を掴んで引つ張り、その勢いで内藤が椅子もろとも転倒した。」「私はすぐその男に『お前誰や、引つ張つたやないか。』と言つてやつた。」旨の供述記載があると窺われるが、原審第一二回公判で検察官が刑事訴訟法三二一条一項二号後段により森澤の右検察官調書の取調べを請求したのに対し、原裁判所は第一八回公判において「実質的に異なつた供述がなされたとは認められない」として右請求を却下し、これについての検察官の異議申立も棄却したことが明らかである。しかしながら、被告人樫木が内藤の右手首を引つ張つたかどうかの点は公訴事実に直接かかわるものであるだけに、森澤の前示証言と検察官調書の供述記載は実質的に異なると認定するのが相当であり、また証言は事件発生から約一年三か月ないし二年経過した時点のものであるのに比し、検察官の取調べは事件発生の約一か月半後になされており、森澤自身検察官に対しては当時の記憶どおり正直に述べた旨証言していることなどからみて、右の相異は時日の経過に伴う記憶の減退によるものと認められ、検察官調書の供述記載を信用すべき特別の情況が存すると考えられるから、森澤の検察官調書を却下した原裁判所の訴訟手続には所論のような法令違反があるというべきである。そして、原判決は、森澤の証言を被告人樫木が内藤の右手首を引つ張つたのは見ていない趣旨であると理解したうえで、これを十分信用できると評価し、同証言を有力な論拠にして被告人樫木が内藤の右手首を引つ張つたとは認められないとし、前示却下理由とは矛盾する判断をしているが、森澤の検察官調書を取り調べておれば、その他の関係者の証言等に対する評価にも変動をもたらし、原判決とは異なる結論にいたる蓋然性も強いと考えられるから、原裁判所の前示違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであると認められる。論旨は理由がある。〈以下、省略〉

(兒島武雄 逢坂芳雄 山田利夫)

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